2014年11月26日水曜日

Religiòn

Hola!Hola!
今日はかなり堅苦しい、宗教について書こうと思います。

この街に住み始めてからは、
ほぼ毎週日曜にEvangelica(プロテスタント)のミサに家族と参加しています。
ミサはあんまり面白いものではありません。正直2時間近く話を聞くのはダルい。笑
と言うのも、話しをする人達はとても早口でその上内容も難しいです。
スペイン語を聞いても3割程度しか理解することは出来ない気がします。

ただ家族と一緒にミサに参加するのが嫌いかと言われるとそうでもないです。
前々から宗教と言うものに興味があった分、
ホンジュラスの宗教的価値観に触れることが出来るので勉強だと思って参加しています。

今回は、この国に来て宗教と言うものに直に触れ、
今現在はどのようにこの国の宗教を自分が考えているのかを
なんとなくまとめておきたいと思った次第です。
人に見せるBlogでは無く、日記とかノートって感じかな。笑

ホンジュラスの宗教事情について考える。
その前に、少しだけ一神教の事を復習してみます。
ご存知の通りユダヤ教、キリスト教、イスラム教はそれぞれ同じ神を崇めています。
いつか神から下される「最後の審判」の為にそれぞれ違った形で
原罪の許しをこいているわけです。

ではでは同じ神を崇めているのに、何が異なるのか?
超簡単の言うならば、神と人間を仲介する預言者とその発言と記録書が違うわけです。

モーセと聖書
イエスと旧約聖書、新約聖書
ムハンマドとコーランと言うように。

ついでに確認しとくと
ユダヤ教は聖書は1つ。
キリスト教は、その聖書に加えて新約聖書(キリストが生まれてから作られた。)
イスラム教は、その二つに加えてコーラン(コーランが最重要。)

個人的に言わせれば、聖書の内容を確認しながら
こんな壮大な作り話をよくも作ったもんだなと感心させられます。笑

また聖書を知れば知るほど当時の時代背景を感じることが出来て面白いです。
そして、やはり作り話だなと感じてしまうのも確かですが…

例えば、バベルの塔の話やモーセが海を割って道を作る話、
ノアの箱舟なんかは有名なところかもしれないですね。
個人的に興味を引いたのは、アダムとイブの話で、イブはアダムの肋骨から生まれた。
と言う話とかかなー。

ここで問題だと感じることは、2000年以上も前から
既に男女平等としない考えが浸透していたと言うことです。
尚且つ、そのことが世界一のベストセラーの聖書達に書かれていて、
現在も多くの熱心な信者を持つその3大宗教ではそれを読み学習していると言うことです。
この事実を知った時は、男女差別問題は宗教的、歴史的背景を踏まえても
解決することがいかに難しい事なのかと考えこんでしましました。
最近、トルコの大統領が男女平等を目指すのでは無く、
男女対等を目指すできである的なことを言って問題になりましたが、一理あるような気もします。

他にも面白いところが沢山あるなと思ったのですが、
一つ上げるなら聖書では、
人間の魂は神が鼻の穴から息を吹き込んだことで生まれたとなっています。
しかし、バチカンにある有名な「最後の審判」などの絵には
神とアダムが指を触れ合うことで魂が宿った様に描かれてます。
芸術っていうのも意外に適当なものなんだな。と感じた次第です。
しかしながら、世界の有名な絵の多くは宗教画だし、
歌だって同様であるからにはそれだけでも宗教を深く知る意味合いは大きいように思ます。

話は長くなりましたが、とりあえず宗教には興味があるってことです。笑
彼らは、神に祈りを捧げる為に多くの時間を費やし、「本気」で神を語り、
時には涙し、神に祈ります。毎日のようにその姿を見るのです。
当然、何故こんな壮大な作り話を信じることが出来るのか?
その話に元ずく神を信じることができるのか?と言うのが率直な疑問です。

それではやっとホンジュラスの現状に話を移します。

ホンジュラスはガイドブックや資料によると80〜90%がカトリック教徒と書いてあります。
では実際はどうか?実際はどーもそうでは無い気がします。
恐らく、プロテスタントが40〜50%は居るのではないかな?
プロテスタントに関しては、もはや無限のように宗派は別れています。
偶像崇拝をしない事や、聖母マリヤをただの人間として
信仰の対象にしない事などが大きな特徴でしょう。

国民性としてはやはり非常に宗教心は強いようです。
イメージですがその傾向は田舎に行けば行くほど強い。
病気になれば神に祈ろうと言います。それも本気で。
神に祈って病気が治癒するのなら
今日のように医学は発達していなかっただろうと思いながら見ていますが。

そして複数のプロテスタント、カトリックのミサに参加して感じるたのは、
参加者同士の強い絆である。
それぞれの参加者同士は事あるごとに抱き合います。
お互いを「息子、娘」「兄弟」と呼びあうのです。
家族単位で参加しているので小さい子供から高齢者まで色とりどりです。

ミサの内容は、宗派によって異なりますが
基本的には、牧師の話を聴き、皆で歌い、聖書を読むという事は共通しているようです。
中には、若者ばかりでアーティストのLIVEのようにガンガン音楽を鳴らしている所や、
そのメンバーで遠出して遊びに行く人達も居るようです。

客観的に見れば、それはもはや何かのサークル活動みたいな感じです。
宗教仲間と言う一種のコミュニティが作られています。

このコミュニティはやはり非常に大切なものなんでしょう。
田舎に行けば、お金も食べ物もない人達も多いがそのコミュニティが助けてくれます。
きっと元を辿れば、宗教やそれによって形成されたコミュニティは
生きてく上で必要だったんでしょう。

そう言う意味では宗教はコミュニティを形成する為に作られたと言うのも納得できます。
ちなみに一神教と言うのは通常の思考性では生まれて来ないそうです。
JICAの講義で言ってました。笑

実際、世界には3大宗教以外には数多くの多神教が存在しています。
日本の神道に関しても当てはまる所でしょう。

では、なぜ一神教が生まれたのだろうか?
こんな説があります。国を統一する為です。
世界は広い。そして陸続きの国々がほとんどです。
もちろん歴史を紐解けば侵略戦争は数知れないでしょう。

侵略した国をどうやって同化させるか?
それは非常に難しい問題だったんでしょう。
そこで使われていたのが宗教。自分たちと同じ神を崇めさせる必要性があったみたいです。

そして、各宗教に戒律が厳しく定められているのは、
同じ宗派の者同士でしか結婚させない為である。と言っていました。


確かに、食べ物や祈り方が違えば他宗教同士はの結婚は困難になるのは
容易に想像がつきます。
ブタとか食べれないの嫌だしねー
メッカへの礼拝や断食もできる気がしないしな。

最後に日本人について。
日本では宗教は積極的には学習させないようにすると国が決めているようです。
しかし、世界中の情報や人の行き来が盛んになった今、
それが正しいのかは疑問に思うところです。

日本は外人に宗教は何だ?と問われると「無宗教」と答える人が多いらしいです。
だけど、実はこれは大変危険なことかもしれません。
宗教が全ての基準でその上で生活が成り立っている彼らからすれば、
信仰する宗教が無いと言うことは理解することは出来ない可能性があるのです。
解釈によっては「無宗教」=神から愛されない人
つまり、テロリズムを考える様なので危険な思想の持ち主
と捉えられることもある様なので要注意です。

以上、纏まりは無いのですがミサに参加しながら
あまりに時間があったので思った事を書いてみた感じです。。

時間がありすぎるのも、余計な事を考えすぎていけませんね。笑

1 件のコメント:

  1. アダム創造の絵で、神様の背中にある赤いマントのようなものに人がたくさん乗っていると思うんだが、あれは脳を表しているとか宮本先生が説明してたよ。ミケランジェロもかなり解剖に詳しいとか言ってた。
    おれも聖書持ってる。先月、高校卒業依頼久しぶりに開いた笑

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