2014年10月6日月曜日

「ARBEIT MACHT FREI」働けば自由になる

おら!
この国に来て3ヶ月が経ち、見るたびに驚いていたものや
ここの国の人達の摩訶不思議な価値観なんかも徐々に理解出来る様になってきました。

JOCVは定期的に活動の報告書を書いて提出しなくてはいけないのですが、
活動3ヶ月目はその1号の提出の時期になっています。

いよいよこの配属先の問題点が溢れるほど見えてきて、
黙っているこの現状にもこの環境にもストレスが溜まっていました。

元から度胸は余り無い方で、
そんな自分にもイライラすることが多いのですが...
自分の活動の事ですから、このままではいかんと思い
思い切って配属先で思っている事、考えている事を、
前日に作成した意見書を見ながらスタッフにぶちまけたわけです。
(意見書を書くのはスペイン語が伝わらないのは最強にストレスになるので 笑)

まーぶちまけたと言っても、
怒らないで聞いてね。」
とか恐る恐る話すところが自分らしいなと苦笑してしましますが^^;

それでも、一歩ずつでも自分も配属先も変われるのではないか
と俄然やる気が湧いております。

そう言えばこのポスター好きだったな。


活動の事も書きたいのですが、
少し?
いやかなり長くなりそうなので、それはもう少し暖めておきます。
ただ結局はリハの話しになってしまうので興味無い方はスルーして下さい。笑

今日はARBEIT MACHT FREIと言う言葉について。

この言葉をご存知ですか?
そして、この写真。

これは、ポーランドの有名な世界遺産。
近々、足を運ばなくてはと思っている。

Das Konzentrationslager Auschwitz-Birkenau
アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所
の第一強制収容所の写真です。
ちなみにこの言葉は、

ARBEIT MACHT FREI = 働けば自由になる」 と書かれています。

写真をよく見ると
ARBEIT MACHT FREIの「B」が逆さまになっているのが分かります。
当時の労働者が、些細な抵抗として逆さまに取り付けたと言う話しや、
その時期このような書体が流行っていたなど諸説ありますが
真意は取り付けた人にしか分かりません。

で、なんで急にアウシュビッツなんだ?と言いますと
3月からどうもこの事が脳裏から離れず、
たまたま最近日本のセラピストと話す機会があって
自分のリハビリテーション感を再認識したので書きたくなったのです。


今年の初めイタリア旅行でピサに立ち寄った際に
ピサの駅で、たまたまお世話になっているセラピストの先生に会いました。
その日は予定を変更して、先生に同行して
ピサにある小児専門のリハクリニックを見学させて頂きました。
その後、夕食を食べながらゆっくり話す機会を得たのですが

その時の話しで出てきたのが、このアウシュビッツとこの言葉でした。

ご存知の通り
ユダヤ人を中心とする強制収容者達は、強制労働、人体実験、死刑を強いられ
どんな選別を受けても最終的には全員殺害された訳です。

強制収容者達は
ARBEIT MACHT FREI = 働けば自由になる」 
この言葉をどんな気持ちで見ていたのだろうか?

そして、最終的には全員死ぬと知っていた
ドイツ人達はどんな思いで
強制収容者とこの言葉をどんな思いで見ていたのだろうか?

僕は、中枢神経系のリハビリテーションに対する興味が強く
日本に居る時も興味の中心は片麻痺患者の運動障害の事でした。

リハビリテーションの知識や経験を積んで来ると
何となく患者さんの機能回復に対する限界が見えてくるものですよね?
日本ではごく一般的にはBrunnstrom recovery stag 
とかで評価している方が多いのかな?

いずれにせよ片麻痺患者の随意性の回復と言うものは非常に難しい。
それはこの業界の人達の共通の認識ではないでしょうか?
そして今現在も、統一した治療法が存在しないのは
リハビリテーションの敗北の歴史と言っても良いのではないでしょうか?

ただ、患者さんは
片麻痺になった後も、
「元のように自由に手足を動かしたい。」
と必ず思います。

それは当然のことです。

そして必ず問われます。
「元のように戻りますか?」
「この手は使える様になりますか?」と

医師やセラピストは何と答えるべきなのでしょうか?
「どこまで良くなるかは分かりません。ただ今よりは必ず良くなります。
一緒に家に帰れる様にリハビリを頑張りましょう。」

これは、本質的な答えになっているのだろうか?
僕達は本当に目の前の患者が、元のような姿に戻れると思っているのだろうか?

もし、セラピストが思っていなくて
機能回復に対して諦めているなら
そんな中でもう一度この手が動くようにと
一生懸命リハビリをしている患者さんを見ているなら

救われる為に一生懸命働いた強制収容者
それを見ていたドイツ人達と同じなのではないか?

極端な言い回しですが、そんな事を思うのです。
リハには期限があったり、病院的なしばりがあったりと
これが綺麗ごとなのは分かります。

が、患者さんが回復を求めるなら
回復の為に可能性を信じて治療するべきではないのか?
そして、挑戦し続けなくてはいけないのでは?と思うのです。。。
自分にも患者さんにも嘘を付かない
そんなセラピストになりたいものです。

と、少し暑苦しくなってしましましたが
というより何様だ?って感じですがまー良いでしょう 笑

最後に隣町のプールの写真や教会の写真でものせておきます♪
あとピサの写真もついでに!

それでは!
ここは中々良い

貸し切り

夜も中々綺麗♪


懐かしのイタリア