2014年11月29日土曜日

Donde esta Luz!! Donde esta Suyapa!!

おら!
ただいま久しぶりの電気にありついています。
ちょこちょことした停電は毎日のようにあるのですが
今回の停電は長かった…
昨日、30時間ぶりに電気が復仇したのですが
喜びもつかの間、30分後には再停電。。。
結局なんと56時間!3日に渡り停電が続きました。

電気がないので、自分の部屋にいても真っ暗です。
もともと僕の部屋は日当たりが特別良いわけでもないので暗い。

そして街は、この国で1番寒い街です。
夕方にもなれば、もちろん極寒。
現に今もダウンジャケットを着ています。
停電のおかげでもちろん携帯やパソコンは使えないし、暖かいお湯なども浴びれません。
水なら真っ暗闇の中浴びれるのですが、
部屋の中も常に息が白い様なこの場所では水を浴びることは死を意味します。笑

とりあえず停電中は、わずかな日の光とロウソクで
日本から送ってもらった「アンネの日記」を読んでいたのですが、
まるで自分も隠れ家に潜伏しているような気持ちでした。笑

初めは普段は自宅に帰るとネットばかり見ているのでネット依存の良い薬だな。
とか、ロウソクの光の下、のんびり音楽を聴きながら
文章を読み書きするのもたまには良いかなと思っていました。
しかし、時間が経つにつれロウソクは燃え尽き電子機器の充電も底をつくと
いつも以上に寒さは身にしみました。

本当に電気って大切だ。と、ぬるま湯のシャワーを浴びながら実感した所です。

極寒の我が街。

やること無さ過ぎ寝るしかない。

ところで、昨日に理学療法士の実習生が無事に実習を終え大学に戻りました。
ついにセラピストは自分とカウンターパートの2人になったわけです。

今週は学生さんから色々な業務の引き継ぎを受けたのですが
はっきり言って、業務量が増えすぎてる。笑

来月には、今後行っていく計画を決定して
活動が本格始動していかなければならないのに…
そこまで手が回るか少し不安です。

まず患者さんが多い。多すぎる。
多い日は40人くらい来ます。
1人1時間程度治療しますので、てんてこ舞い。

余談ですが、疾患が幅も広い!
今日担当した患者さんも、銃創、パーキンソン病、脊損、脳性麻痺、大腿骨骨幹部骨折、
ギランバレー症候群、顔面神経麻痺、肘関節脱臼、中手骨骨折術後、前十字靭帯損傷、
ヘルニア術後、側湾症と中々多彩な感じです。
脳血管障害も整形外科疾患も発症して数ヶ月後に来る人が多いので、
日本では考えられない状態でやってきます。
例えば、股関節の術後なのに膝が40°以上曲がらないとか。
車椅子で歩行困難だとか。本当に絶句します。

あと僕のスペイン語が未熟なのが問題なのですが、
やっぱりカルテ記載、特に新患のカルテ記載が現状では難しいですね。
時間がかなりかかります。しかも誤字脱字が半端ない。
あと医療用語が難しすぎる。
ホンジュラス人の文字が読めない。汚ない。
Dr.の文字の難解さは万国共通なのかな?
愚痴を言い出せば切りが無い。笑

何あともあれ、今からはギアを入れ替えて頑張ります!!
たぶん今より更に書くし喋るのでもっともっとスペイン語も上達するはずですね 笑

とりあえず学生さんお疲れ様でした♩
何も伝えることが出来なくて、個人的には心残りですが
2年後は立派なリセンシアーダになる事を期待しときます。

今日は、学生さんの素晴らしい将来と、再停電しないことを祈って寝ることにします。
おやすみなさい。

さらばスジャパ!



2014年11月26日水曜日

Religiòn

Hola!Hola!
今日はかなり堅苦しい、宗教について書こうと思います。

この街に住み始めてからは、
ほぼ毎週日曜にEvangelica(プロテスタント)のミサに家族と参加しています。
ミサはあんまり面白いものではありません。正直2時間近く話を聞くのはダルい。笑
と言うのも、話しをする人達はとても早口でその上内容も難しいです。
スペイン語を聞いても3割程度しか理解することは出来ない気がします。

ただ家族と一緒にミサに参加するのが嫌いかと言われるとそうでもないです。
前々から宗教と言うものに興味があった分、
ホンジュラスの宗教的価値観に触れることが出来るので勉強だと思って参加しています。

今回は、この国に来て宗教と言うものに直に触れ、
今現在はどのようにこの国の宗教を自分が考えているのかを
なんとなくまとめておきたいと思った次第です。
人に見せるBlogでは無く、日記とかノートって感じかな。笑

ホンジュラスの宗教事情について考える。
その前に、少しだけ一神教の事を復習してみます。
ご存知の通りユダヤ教、キリスト教、イスラム教はそれぞれ同じ神を崇めています。
いつか神から下される「最後の審判」の為にそれぞれ違った形で
原罪の許しをこいているわけです。

ではでは同じ神を崇めているのに、何が異なるのか?
超簡単の言うならば、神と人間を仲介する預言者とその発言と記録書が違うわけです。

モーセと聖書
イエスと旧約聖書、新約聖書
ムハンマドとコーランと言うように。

ついでに確認しとくと
ユダヤ教は聖書は1つ。
キリスト教は、その聖書に加えて新約聖書(キリストが生まれてから作られた。)
イスラム教は、その二つに加えてコーラン(コーランが最重要。)

個人的に言わせれば、聖書の内容を確認しながら
こんな壮大な作り話をよくも作ったもんだなと感心させられます。笑

また聖書を知れば知るほど当時の時代背景を感じることが出来て面白いです。
そして、やはり作り話だなと感じてしまうのも確かですが…

例えば、バベルの塔の話やモーセが海を割って道を作る話、
ノアの箱舟なんかは有名なところかもしれないですね。
個人的に興味を引いたのは、アダムとイブの話で、イブはアダムの肋骨から生まれた。
と言う話とかかなー。

ここで問題だと感じることは、2000年以上も前から
既に男女平等としない考えが浸透していたと言うことです。
尚且つ、そのことが世界一のベストセラーの聖書達に書かれていて、
現在も多くの熱心な信者を持つその3大宗教ではそれを読み学習していると言うことです。
この事実を知った時は、男女差別問題は宗教的、歴史的背景を踏まえても
解決することがいかに難しい事なのかと考えこんでしましました。
最近、トルコの大統領が男女平等を目指すのでは無く、
男女対等を目指すできである的なことを言って問題になりましたが、一理あるような気もします。

他にも面白いところが沢山あるなと思ったのですが、
一つ上げるなら聖書では、
人間の魂は神が鼻の穴から息を吹き込んだことで生まれたとなっています。
しかし、バチカンにある有名な「最後の審判」などの絵には
神とアダムが指を触れ合うことで魂が宿った様に描かれてます。
芸術っていうのも意外に適当なものなんだな。と感じた次第です。
しかしながら、世界の有名な絵の多くは宗教画だし、
歌だって同様であるからにはそれだけでも宗教を深く知る意味合いは大きいように思ます。

話は長くなりましたが、とりあえず宗教には興味があるってことです。笑
彼らは、神に祈りを捧げる為に多くの時間を費やし、「本気」で神を語り、
時には涙し、神に祈ります。毎日のようにその姿を見るのです。
当然、何故こんな壮大な作り話を信じることが出来るのか?
その話に元ずく神を信じることができるのか?と言うのが率直な疑問です。

それではやっとホンジュラスの現状に話を移します。

ホンジュラスはガイドブックや資料によると80〜90%がカトリック教徒と書いてあります。
では実際はどうか?実際はどーもそうでは無い気がします。
恐らく、プロテスタントが40〜50%は居るのではないかな?
プロテスタントに関しては、もはや無限のように宗派は別れています。
偶像崇拝をしない事や、聖母マリヤをただの人間として
信仰の対象にしない事などが大きな特徴でしょう。

国民性としてはやはり非常に宗教心は強いようです。
イメージですがその傾向は田舎に行けば行くほど強い。
病気になれば神に祈ろうと言います。それも本気で。
神に祈って病気が治癒するのなら
今日のように医学は発達していなかっただろうと思いながら見ていますが。

そして複数のプロテスタント、カトリックのミサに参加して感じるたのは、
参加者同士の強い絆である。
それぞれの参加者同士は事あるごとに抱き合います。
お互いを「息子、娘」「兄弟」と呼びあうのです。
家族単位で参加しているので小さい子供から高齢者まで色とりどりです。

ミサの内容は、宗派によって異なりますが
基本的には、牧師の話を聴き、皆で歌い、聖書を読むという事は共通しているようです。
中には、若者ばかりでアーティストのLIVEのようにガンガン音楽を鳴らしている所や、
そのメンバーで遠出して遊びに行く人達も居るようです。

客観的に見れば、それはもはや何かのサークル活動みたいな感じです。
宗教仲間と言う一種のコミュニティが作られています。

このコミュニティはやはり非常に大切なものなんでしょう。
田舎に行けば、お金も食べ物もない人達も多いがそのコミュニティが助けてくれます。
きっと元を辿れば、宗教やそれによって形成されたコミュニティは
生きてく上で必要だったんでしょう。

そう言う意味では宗教はコミュニティを形成する為に作られたと言うのも納得できます。
ちなみに一神教と言うのは通常の思考性では生まれて来ないそうです。
JICAの講義で言ってました。笑

実際、世界には3大宗教以外には数多くの多神教が存在しています。
日本の神道に関しても当てはまる所でしょう。

では、なぜ一神教が生まれたのだろうか?
こんな説があります。国を統一する為です。
世界は広い。そして陸続きの国々がほとんどです。
もちろん歴史を紐解けば侵略戦争は数知れないでしょう。

侵略した国をどうやって同化させるか?
それは非常に難しい問題だったんでしょう。
そこで使われていたのが宗教。自分たちと同じ神を崇めさせる必要性があったみたいです。

そして、各宗教に戒律が厳しく定められているのは、
同じ宗派の者同士でしか結婚させない為である。と言っていました。


確かに、食べ物や祈り方が違えば他宗教同士はの結婚は困難になるのは
容易に想像がつきます。
ブタとか食べれないの嫌だしねー
メッカへの礼拝や断食もできる気がしないしな。

最後に日本人について。
日本では宗教は積極的には学習させないようにすると国が決めているようです。
しかし、世界中の情報や人の行き来が盛んになった今、
それが正しいのかは疑問に思うところです。

日本は外人に宗教は何だ?と問われると「無宗教」と答える人が多いらしいです。
だけど、実はこれは大変危険なことかもしれません。
宗教が全ての基準でその上で生活が成り立っている彼らからすれば、
信仰する宗教が無いと言うことは理解することは出来ない可能性があるのです。
解釈によっては「無宗教」=神から愛されない人
つまり、テロリズムを考える様なので危険な思想の持ち主
と捉えられることもある様なので要注意です。

以上、纏まりは無いのですがミサに参加しながら
あまりに時間があったので思った事を書いてみた感じです。。

時間がありすぎるのも、余計な事を考えすぎていけませんね。笑

2014年11月16日日曜日

Common sense is the collection of prejudices acquired by age eighteen.

¡Hola!
1114日はサッカー 日本 vs ホンジュラス がありましたね♪
結果はご存知の通り、60で日本の快勝でした。
日本で開催だったので、キックオフは金曜の朝430!!
早いんだよ。。。
もちろん勝ったのは嬉しい事ですが、一緒にホンジュラスの家族が見ていたわけなので
純粋には喜びきれませんでした。笑
日本が得点を加えるたびに隣で「ホンジュラスはダメだ...」
と溜め息をつくものですから内心(ホンジュラス!気合い入れてゴール決めろよ!)
そんな心持ちでした。
何れにせよ、サッカーの試合は両国の認識を高める上でも良かったみたい。
ありがたやありがたや^^


ところで、今回はホンジュラスで適当だなと思った事を少しだけご紹介☆

①日本の東京の紹介で使われている写真が、完全にシンガポールだと言う件。
 サッカーの試合があると言う事で、日本についても特集がありました。
 しかし、写真はシンガポール!さすがと言わざるを得ない。
 果たしてリサーチする気あったのか?



②為替レート 円(¥)で使われている写真が100円札だと言う件。
 ニュースを見ていると、たまに流れる為替レート。
 レンピ 対 $(USドル)、€(ユーロ)、¥(円)
 さすが、世界三大通貨!!と喜んでいたものの...
 写真に使われているのは板垣退助。夏目漱石ならまだしも
  これが公然とテレビで流れている事実。日本に興味が無いのは良く分かった。



③祝日が大統領の一声で変わっちゃう件。
 10月は祝日が3日もある素晴らしい月でした。
 10月の初めに祝日は月末に集めて連休にする!と大統領が明言!
 決めるの遅すぎだろ...
 しかし、お陰さまでカリブの島に旅行できたので感謝です^^


  
④車の事故があっても、無かった事になる件。
 ホンジュラス人の運転は荒いです。おかげで車は冗談抜きで何十年乗ってる 
 んですか?ってくらいボコボコ、ボロボロ。車やバイクにぶつかろうが問題
 無し!と言うか問題にならない。品質の良い日本車が重宝される意味が分か
 ります。洗車?そんなの夢のまた夢です。


⑤お金が汚すぎる件。
 ホンジュラスでは、紙幣通貨の使用がほとんど。125102050100、  
 500 + 硬貨と少し種類も多いです。紙幣がぐしゃぐしゃなのは当然ですが
 中には謎の数字が手書きで書き込まれていたり、破れていたり、ホッチキス
 の針で止められていたりある意味自由です。



突っ込み所が満載のホンジュラス!
適当で面白いなーと思いつつも、途上国ならではの問題も見え隠れしている様です。

見方を変えれば
変なのはホンジュラスか?それとも日本か?

「常識とは18歳までに身に付けた偏見のコレクションのことを言う」
                    アルベルト・アインシュタイン



そんな言葉を思い出す、いつものカフェで過ごす土曜日。

2014年10月6日月曜日

「ARBEIT MACHT FREI」働けば自由になる

おら!
この国に来て3ヶ月が経ち、見るたびに驚いていたものや
ここの国の人達の摩訶不思議な価値観なんかも徐々に理解出来る様になってきました。

JOCVは定期的に活動の報告書を書いて提出しなくてはいけないのですが、
活動3ヶ月目はその1号の提出の時期になっています。

いよいよこの配属先の問題点が溢れるほど見えてきて、
黙っているこの現状にもこの環境にもストレスが溜まっていました。

元から度胸は余り無い方で、
そんな自分にもイライラすることが多いのですが...
自分の活動の事ですから、このままではいかんと思い
思い切って配属先で思っている事、考えている事を、
前日に作成した意見書を見ながらスタッフにぶちまけたわけです。
(意見書を書くのはスペイン語が伝わらないのは最強にストレスになるので 笑)

まーぶちまけたと言っても、
怒らないで聞いてね。」
とか恐る恐る話すところが自分らしいなと苦笑してしましますが^^;

それでも、一歩ずつでも自分も配属先も変われるのではないか
と俄然やる気が湧いております。

そう言えばこのポスター好きだったな。


活動の事も書きたいのですが、
少し?
いやかなり長くなりそうなので、それはもう少し暖めておきます。
ただ結局はリハの話しになってしまうので興味無い方はスルーして下さい。笑

今日はARBEIT MACHT FREIと言う言葉について。

この言葉をご存知ですか?
そして、この写真。

これは、ポーランドの有名な世界遺産。
近々、足を運ばなくてはと思っている。

Das Konzentrationslager Auschwitz-Birkenau
アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所
の第一強制収容所の写真です。
ちなみにこの言葉は、

ARBEIT MACHT FREI = 働けば自由になる」 と書かれています。

写真をよく見ると
ARBEIT MACHT FREIの「B」が逆さまになっているのが分かります。
当時の労働者が、些細な抵抗として逆さまに取り付けたと言う話しや、
その時期このような書体が流行っていたなど諸説ありますが
真意は取り付けた人にしか分かりません。

で、なんで急にアウシュビッツなんだ?と言いますと
3月からどうもこの事が脳裏から離れず、
たまたま最近日本のセラピストと話す機会があって
自分のリハビリテーション感を再認識したので書きたくなったのです。


今年の初めイタリア旅行でピサに立ち寄った際に
ピサの駅で、たまたまお世話になっているセラピストの先生に会いました。
その日は予定を変更して、先生に同行して
ピサにある小児専門のリハクリニックを見学させて頂きました。
その後、夕食を食べながらゆっくり話す機会を得たのですが

その時の話しで出てきたのが、このアウシュビッツとこの言葉でした。

ご存知の通り
ユダヤ人を中心とする強制収容者達は、強制労働、人体実験、死刑を強いられ
どんな選別を受けても最終的には全員殺害された訳です。

強制収容者達は
ARBEIT MACHT FREI = 働けば自由になる」 
この言葉をどんな気持ちで見ていたのだろうか?

そして、最終的には全員死ぬと知っていた
ドイツ人達はどんな思いで
強制収容者とこの言葉をどんな思いで見ていたのだろうか?

僕は、中枢神経系のリハビリテーションに対する興味が強く
日本に居る時も興味の中心は片麻痺患者の運動障害の事でした。

リハビリテーションの知識や経験を積んで来ると
何となく患者さんの機能回復に対する限界が見えてくるものですよね?
日本ではごく一般的にはBrunnstrom recovery stag 
とかで評価している方が多いのかな?

いずれにせよ片麻痺患者の随意性の回復と言うものは非常に難しい。
それはこの業界の人達の共通の認識ではないでしょうか?
そして今現在も、統一した治療法が存在しないのは
リハビリテーションの敗北の歴史と言っても良いのではないでしょうか?

ただ、患者さんは
片麻痺になった後も、
「元のように自由に手足を動かしたい。」
と必ず思います。

それは当然のことです。

そして必ず問われます。
「元のように戻りますか?」
「この手は使える様になりますか?」と

医師やセラピストは何と答えるべきなのでしょうか?
「どこまで良くなるかは分かりません。ただ今よりは必ず良くなります。
一緒に家に帰れる様にリハビリを頑張りましょう。」

これは、本質的な答えになっているのだろうか?
僕達は本当に目の前の患者が、元のような姿に戻れると思っているのだろうか?

もし、セラピストが思っていなくて
機能回復に対して諦めているなら
そんな中でもう一度この手が動くようにと
一生懸命リハビリをしている患者さんを見ているなら

救われる為に一生懸命働いた強制収容者
それを見ていたドイツ人達と同じなのではないか?

極端な言い回しですが、そんな事を思うのです。
リハには期限があったり、病院的なしばりがあったりと
これが綺麗ごとなのは分かります。

が、患者さんが回復を求めるなら
回復の為に可能性を信じて治療するべきではないのか?
そして、挑戦し続けなくてはいけないのでは?と思うのです。。。
自分にも患者さんにも嘘を付かない
そんなセラピストになりたいものです。

と、少し暑苦しくなってしましましたが
というより何様だ?って感じですがまー良いでしょう 笑

最後に隣町のプールの写真や教会の写真でものせておきます♪
あとピサの写真もついでに!

それでは!
ここは中々良い

貸し切り

夜も中々綺麗♪


懐かしのイタリア